中国 現地採用で働く日々の暮らし

ニュースではわからない、中国の今をお伝えしたい

猫と花と社食メニュー

会社からの帰り道

この猫ちゃん、
思い切り警戒してるのに
食べるものが欲しかったのか
近づいてきてくれましたw





猫の食べるものは何も持ってなくて、ごめんね😥
後から来た女性の方が、
猫の餌を持っていたようで、
その方のほうへ、走って行ってしまいましたw

今が満開の八重桜


素敵な香りのライラック


社食の昼ごはん エビ団子


社食の夕ごはん まぜそば


ベジタリアンな、まぜそば、
パクチーと、ニンニクの香りが美味しかった

大連 満州の日本人街 連鎖街③ 劇場 常盤座、スクラッチ・タイル

こちらの建物は、かつての劇場 常盤座



(以下の画像は百度より借用)


当時の常盤座


修復した、常盤座の画像



常盤座では

日本の演劇や映画、音楽などが上映されていたようです。


「大連の常盤座について教えてください」

とChat GPTに聞いても、

確かに、常盤座という劇場は存在していましたが、

私もよく知りませんという感じの反応でした…



こちらの写真は、百度からの借用ですが、

10年くらい前の、常盤座の姿…


金物工具の卸売市場だったようです。


この頃は、かつての劇場の面影が全くなく

生活感ありすぎ…



こちらの建物ですが、外壁の一部に

「スクラッチ タイル」が使われています


スクラッチタイルとは、主に外壁として使用する外装用タイルのことです。

特徴としては、突起物で引っ掻いたような模様が付いているということです。そのため表面には細い多数の溝が刻み込まれています。

(中略)

スクラッチタイルは主に昭和初期に流行したタイルであり、その時代に建てられた建築物には多く使用されていました。

そのため、スクラッチタイルはレトロな雰囲気があり、どこか懐かしさを感じさせます。

こちらのサイトより引用させていただきましたhttps://e-gaiko.com/gdn/scrt/


終戦後も、大連で

人々と共に生き続けてきた、連鎖街


21世紀も四半世紀が経とうとしている今、

ひとつの街が、

その役割を終える日は、遠くない気がする…




当時は、大連一の繁華街だった、連鎖街


この街が、まだ新しかった頃

人々は、どんな暮らしをしてたのだろうか


当時は、日本で貧しくても

大連に渡れば、一攫千金のチャンスがある、

そんな場所だったようです


第二次世界大戦の終結間際、

大連もソ連の攻撃に遭い、日本の無条件降伏後、

この地を去らなければならなくなった

先代の日本人のことを思うと、心がいたむ

大連 満州の日本人街 連鎖街② 昔の日本人の住居

ただ見果てぬ夢を追えば、大連の橋の上

(サザンオールスターズ

「流れる雲を追いかけて」の歌詞)


当時は、日本で貧しくても

大連に渡れば、一攫千金のチャンスがある、

そんな場所だったようです。


当時は、大連一の繁華街だった、連鎖街も

現在は、近代的なビルに囲まれた、

そこだけ異空間のように

時代に取り残された街区です。


こちらの建物 3階は、住居だったようです。


今はもう、人は住んでいないようでした。

さすがにね…


一世紀前、海を渡ってきた

日本人が住んでいた場所



日本の昭和っぽいつくりの、ドアだと思う




3階 廊下の突き当たり


この先は、怖くて進めなかった…



冬の氷点下の日、寒くなかったのだろうか

と思ってしまう…


廊下の窓




写真だと、ただの古い階段ですが

結構貴重なもので、

大理石をセメントで固めて作った階段

であり、施工には、高い技術を要するとのことです





このような場所、日本国内でも

どのくらい残ってるのだろうか…



2階に来ました。

当時、3階が住居、2階が事務所で、

1階がお店だったようです。











この建物が、まだ新しかった頃

人々は、どんな暮らしをしてたのだろうか